暮らしにルーティンを持とう。
皆が皆、ルーティンを持てばいいと思う。
何気ない良い暮らしには、ルーティンがあるのだ、と。
それは、たぶん、何でもいいのだと思うのだけれど、伝統的に続いているルーティンから始めるのが良いと思う。
朝起きたら「おはよう」と挨拶するとか、もうそんな「当たり前」から始めるのが良い。
神主をやっているとルーティンの大切さをじっとりと感じる。
祭という、そのものがルーティンなのだから。
「例祭」という言葉自体、ルーティンであることを示している。
でも「例祭」とか「大祭」とかいう大きな威厳あるある祭が大事であることは、言うを俟たないのだけれど、もっと大事なのは毎日おこなう小さな祭「日供」であると思う。
毎日の小さな、同じことの積み重ね。
強がる必要もなく、弱っちいと卑下する必要もない。
そういうルーティンが日本じゅうの神社や寺で、あるいはたくさんの家庭で、毎日々々、積み重なっている。
暮らしにルーティンを持とう。
たぶん、それがあなたの御守りになる。