御神体とは何か。
神様は目に見えない。
見えないけれど、いる。
「いる」と感じる。
だから、見えないけれども、まるですぐそこにいるかのように神主は奉仕する。
それが神祭りの真髄のひとつなわけだけれども。
神主をしていると「神社の御神体は何ですか」という質問をよく受ける。
逆に問いたい。
「じゃあ、そもそも『御神体』て何だと思ってます?」と。
昔の人々が目に見えぬ神をどのようにして見ることができたのか。
僕にはとんとわからぬ。
思うに昔の人々もわからなかったんじゃないかな。
そこで神様が見えないけれども、すぐそこにいるかのように奉仕するための装置が考案された。
それが「依代(よりしろ)」だ。
いにしえの祭祀では大木や巨石、山、海などの森羅万象に神の御霊が宿るモノとして神聖なものとされてきた。
そう神聖なのだ。
神の御霊が宿るのだから、誰がなんと言おうと神聖なのだ。
そこに異論はない。
え、でもちょっと待って。
大木や巨石に宿る前の神霊は、いったいどこにいたの?
その大木や巨石は神様なの?
祭祀において、いわゆる大木や巨石が御神体でいられるのは「祭祀の間」だけであると僕は思っている。
じゃあ、祭祀の間以外の時間は、その大木や巨石は「ただのモノ」なのかといえば、それも違う。
「神聖なモノ」である。
ただし、御神体ではない。
依代は祭祀の際のひと時、御神体となる。
そこは神様をお招きするための玄関であり、応接間でもある。
「御神体とは、目に見えない神様を祭祀のとき一時的に感じ取るための装置である」。
これが僕の答えたい本当のことなのだが。
しかし、ひどく回りくどくなるし、正直に打ち明けたとて「そーゆー答えが欲しいんじゃないのよ」という顔をされることが多い。
結果、以下のように端折ることが多い。
「あ、大木や巨石などの森羅万象や本殿内に納められている何かですねー」と。